株式会社ブライトブライズ 代表取締役 島津郁代氏にインタビューしました。

▼企業情報
社名:株式会社ブライトブライズ
設立:2011年
役職:代表取締役
住所:〒561-0871 大阪府豊中市東寺内町13-23 ラ・メゾン302
URL:https://bright-brides.com/

▼事業内容
株式会社ブライトブライズは、結婚式という人生最大の晴れ舞台において、新郎新婦が“最も美しく、最もふさわしい姿でその日を迎える”ためのサポートを行う企業です。
15年前、代表・島津郁代がブライダル現場で感じた「人生の晴れ舞台でありながら、丁寧なリハーサルが行われていない」という課題から、結婚式当日の立ち居振る舞い・所作・印象を整える独自メソッド【花嫁レッスン®】を確立しました。
創業以来一貫して、その価値を広く届けるための講師養成事業を展開し、多くの講師を輩出。全国のホテルや専門式場と提携し、講師派遣を行っています。
結婚式における新郎新婦の完成度を高めることで、結婚式そのものの価値向上への貢献を目的として活動しています。

事業を始めたきっかけ

“「必要だ」と信じたから、諦められなかった”

私はもともと、モデルの仕事をしていました。でも、本当に欲しかったのは、華やかな世界ではなく、「温かい家庭」だったんです。結婚して、念願の専業主婦になり、子育てに追われる毎日。それだけで十分幸せでした。そんなある日、モデル時代の先輩から一本の電話がかかってきました。

「リッツ・カールトン大阪で、新郎新婦様をサポートする仕事を立ち上げるから、一緒にやらない?」最初は断りました。下の子はまだ2歳。“今の私には無理”そう思っていたからです。でも、その先輩は何度も何度も声をかけ続けてくれました。その熱意に背中を押されるように、私は思い切って飛び込んだんです。新郎新婦様のお仕度をトータルでプロデュースする専属スタイリストの仕事でした。しかし、働く中で、私はある“違和感”を抱くようになります。結婚式は、人生で一番輝きたい日。ドレスにお金をかけ、ヘアメイクにこだわり、夢を形にしていく。

それなのに―― “美しく歩くこと” “おもてなしの笑顔” “息の合ったお辞儀” “新郎のエスコート” 誰も教えていなかったんです。 「こんなに大切な日なのに、そこが抜け落ちているなんて…」 私は、その現実がどうしても見過ごせませんでした。だから決めたんです。“花嫁・花婿の所作レッスン”を作ろう、と。 でも、その道は想像以上に孤独でした。ホテルへ営業に行っても、「そんなの必要ない」と断られる毎日。一緒に夢を追いかけてくれた仲間も、「島津さん、ブライダルは難しいんじゃない?」そう言って、次々と離れていきました。 それでも、不思議と諦めることはできなかったんです。「絶対に必要なものだ」その想いだけは、どんな時も消えませんでした。当時は今のように情報もなく、すべてが手探りでした。それでも、ただ必死でした。子どもの貯金を使いながら、事務所を借り、講師を育て、ホテルへ足を運び続ける日々。何度も心が折れそうになりました。

それでも、そのたびに、“これを待っている人がいる”そう信じて立ち上がってきたんです。そんなある日、大阪のあるホテルが、「一度やってみる?」と声をかけてくださいました。そこから、少しずつ世界が変わり始めます。口コミで広がり、評価され、ついには東京のパレスホテル東京からオファーが届きました。50歳の時でした。「法人でないと契約できません」そう言われ、人生で初めて法人化しました。レッスンを体験したプランナーさんが、「今までの新郎新婦に申し訳ないことをしていた。何も教えてなかった」そう涙ぐみながら言ってくださったことは、今でも忘れられません。そこから全国へ広がり、最盛期には20社近いホテルでレッスンを行うまでになりました。

しかし―― コロナで、すべてが止まりました。仕事も、未来も、一瞬で消えていったんです。「もう終わりかな…」そう思いました。昨年末には、とうとう関西在住の講師が私ひとりになってしまいました。年齢的にも、もう十分かなと、フェードアウトしかかっていました。でも本心は、あきらめ切れてはいなかった。ここであきらめていいのか、自問自答を繰り返す中で、人生は再び動き始めます。関西の一流ホテルから、再び声がかかったんです。講師は、誰もいない状態ですから、普通なら、「今は無理です」そう答えてもおかしくなかったと思います。でも私は、気づいたら、「やります」って答えていました。64歳。そして今、私は、講師養成をスタートしています。「何歳からでも、人はやり直せる」それを、自分自身の人生で証明したいんです。

倫理法人会に入会した理由

“気づけば、毎週4時半集合でした(笑)”

倫理法人会に入ったきっかけは、ママ友からのお誘いでした。当時、私は東住吉区に住んでいて、息子の学校つながりのお母さんが豊中市倫理法人会の会長をされていたんです。最初はナイトセミナーに誘われ、その後モーニングセミナーにも誘われました。でも、豊中って遠いじゃないですか(笑)しかも、その方は会長だったので、準備から行かれるんです。だから朝4時半に待ち合わせ。3時半起きです(笑)今思うと、ほぼ“拉致”みたいな感じでしたね。

でも、不思議と嫌じゃなかったんです。むしろ、ワクワクしていました。私はそれまで、“経営者として学ぶ”という経験をしてこなかったんですね。だから、経営者同士が本音で語り合い、学び合う空気がすごく新鮮でした。自然と、「ここ、面白いな」と思うようになっていました。入会して翌年には、もうお役をいただいていました。でも、その後いろんなこともありました。正直、吹田市倫理法人会を離れた時期もありました。悔しかったこともありました。悲しかったこともありました。それでも今振り返ると、その時間も含めて必要だったと思うんです。離れていた時も、ずっと声をかけ続けてくださる方がいました。

「一緒にやろう」
「島津、今は、辛抱してな。必ず、島津が必要とされる時が来るから」

その言葉に、私は救われました。だから今は、本当に吹田が大好きなんです。“居場所”って、こういうことなんだなって思うんです。「もっと良くなったらいいな」「もっと温かい場所にしたいな」そんな気持ちで、今も関わらせていただいています。

人生の転機となるような学び

“過去の捉え方が変わった時、人生が変わり始めた”

私は、幼少期に両親が離婚し、父親に育てられました。新しい母との関係もうまくいかず、早く家を出たくて18歳で大阪へ出てきました。その後、父の借金問題もありました。結婚する時には、自分で貯めていたお金がなくなっていたこともありましたし、後には1500万円以上の借金を背負うことにもなりました。でも今は、不思議と恨みはないんです。「お父さん、お母さんがいたから、今の私がいる」そう思えるようになりました。これは、倫理法人会での学びが大きかったと思います。

倫理では、自分の過去にスポットライトが当たります。最初は、「頭では理解できても、心では納得できない」そんなこともありました。でも、たくさんの方の体験を聞く中で、「出来事ではなく、捉え方なんだ」と思えるようになっていったんです。だから今は、自分の過去も自己開示できます。それは、もう執着や恨みとして持っていないから。むしろ、「大丈夫だよ。人はいつからでも変われるよ」というメッセージとして、誰かに届けられたらと思っています。

「私にとって、一番の財産は“仲間”です」

倫理法人会に入って、本当に良かったと思っています。一番大きいのは、“仲間”の存在です。私は幼少期の経験から、「愛されたい」「居場所が欲しい」という想いを、ずっと心のどこかに抱えていたんだと思います。だから、みんなで笑い合っている空間や、「おはよう!」って声を掛け合う朝の空気が、たまらなく好きなんです。

倫理法人会には、本当にいろんな方がいます。年齢も、立場も、仕事も、考え方もバラバラ。まさに“カオス”です(笑)でも私は、その混ざり合っている感じが好きなんです。ここには、「おいで、おいで」って、自然に受け入れてくれる空気がある。もちろん、自分から一歩入っていく勇気も必要です。でも、その一歩を踏み出した人を、ちゃんと受け止めてくれる温かさがある。私はそこに、何度も救われてきました。

また、倫理で学んだことは、日常にも大きな変化を与えてくれました。先約優先。朝起き。お墓参り。夫婦愛和。一つひとつは小さなことかもしれません。でも、その小さな積み重ねが、自分自身を整えてくれるんです。特に、「決めたことをやり切る」という姿勢は、倫理で育ててもらったものだと思っています。正直、倫理に出会っていなくても、生きてはいたと思います。でも――“今の私”ではなかったと思うんです。たくさんの仲間と出会い、支えられ、許され、受け止めてもらったからこそ、今の私がある。だから私は、今度は誰かにとっての“居場所”になれるような存在でありたいと思っています。

入会を考えている人へのメッセージ

“まずは、素直に飛び込んでみてください”

私は、倫理法人会って、“人のお役に立てる場所”だと思っています。人って、誰かのお役に立てた時、ものすごく嬉しいじゃないですか。ここには、その喜びを感じられる場面がたくさんあります。お役を通して、苦手なことに挑戦したり、誰かに教わったり、時には失敗したり。そうやって、人として少しずつ成長していける場所なんです。特に、一人社長の方や個人事業の方には、すごくいい環境だと思います。経営って、孤独ですから。誰にも弱音を吐けなかったり、答えのない中で決断し続けたり。だからこそ、“人と学び合える場所”って大切なんだと思うんです。

「居場所がない」という声も聞きます。でも、そんな時こそ、“まずは素直に飛び込んでみる”ことが大事なんじゃないかなって思うんです。「合わないからやめる」ではなく、「合わせにいく努力」をしてみる。それこそが、自己革新なんじゃないかなって。いろんな人がいるからこそ、自分が磨かれる。自分では気づかなかった弱さや頑固さにも、気づかせてもらえる。だから私は、「なんか変わりたいな」と思っている人には、ぜひ一度飛び込んでみてほしいんです。人生って、環境や出会いで、本当に変わるから。

今後のビジョン

“64歳から、もう一度人生を動かしたい”

一度は、手放しかけたブライダルの事業ですが、講師不在にもかかわらず、私は、気づいたら、「やります」って答えていました。自分でも驚きました。でも、その瞬間にわかったんです。“まだ終わってなかったんだ”って。今、新しい講師を募集して、育成を始めています。私は今、64歳です。もう64歳と思うのか、まだ64歳と思うのか、自分次第なのです。私は「何歳からでも、人は変われる」ということを、自分自身の人生で証明したいんです。そして今度は、今度こそ、関わってくれる講師たちを幸せにしたい。

「島津さんと出会えて良かった」
「この仕事に出会えて良かった」

そう思ってもらえるチームを作りたいんです。

今後は、全国の一流ホテルへ、もう一度、広げていきたいと思っています。さらに将来的には、“婚活支援”もやりたいんです。私は、結婚して家庭を持つ幸せを知っています。もちろん、結婚がすべてではありません。でも、「いつか結婚したい」と思っている人の背中を、そっと押してあげたいんです。人生って、何歳からでも再スタートできる。人は、いつからでも変われる。私は、それをこれからも、自分の人生で伝えていきたいと思っています。

編集後記

今回の取材で感じたのは、島津さんの“しぶといほどの情熱”でした。何度断られても、仲間が離れても、それでも“必要だ”と信じたことを諦めなかった。その姿の奥には、「誰かの人生の大切な瞬間を、本当に美しいものにしたい」という、まっすぐで純粋な願いがありました。

また、幼少期の複雑な家庭環境や、お父様の借金問題など、決して平坦ではない人生を歩まれてきたことも印象的でした。けれど島津さんは、その過去を“苦しみ”としてではなく、「だから今の私がいる」と、静かに受け止めておられました。

倫理法人会での学びを通して、過去の捉え方が変わり、自己開示できるようになった――その言葉には、深い重みがありました。そして何より心を打たれたのは、64歳になった今も、「もう一度、全国展開を目指す」と、少女のように目を輝かせながら語られていたことです。

人生には、思い通りにいかないこともある。諦めたくなる瞬間もある。それでも島津さんは、「必要だと信じたこと」を手放しませんでした。年齢を理由に諦めるのではなく、「今がスタート」と言い切るその姿は、「人は何歳からでも、人生をもう一度動かせる」ということを、私たちに教えてくれているようでした。取材を終えたあと、不思議とこちらまで前向きな気持ちになれる。そんな力を持った方でした。64歳。島津さんの人生は、静かに、もう一度動き始めていました。

<取材> 山下 勇雄/吹田市倫理法人会/幹事
<撮影> 澤 利一/幸合同会社 代表社員/千里中央倫理法人会 幹事

2026年8月 No.334 掲載

※記事中の所属や役職およびインタビュー内容は、取材当時のものです。