倫理指導

倫理指導

人生が変わる瞬間

会社のこと、経営のこと、従業員のこと、家庭のこと、人間関係のこと・・・
倫理法人会の会員になると様々な悩みについて
倫理研究所の研究員・法人スーパーバイザー・法人アドバイザー・倫理経営インストラクターといった
倫理指導をすることが認められた有資格者による指導を無料で何度でも受けることができます。

指導員が相談内容に対し、純粋倫理の基本から外れている所を見抜き
正しい道筋へと的確に指導します。
素直に受け止め実践することによって多くの会員の人生が変わっています。

倫理指導員

  • 倫理経営上級インストラクター
    (一社)倫理研究所 法人アドバイザー

    山路 卓司

  • 倫理経営インストラクター
    (一社)倫理研究所 理事

    田畑 章

  • 倫理経営インストラクター
    (一社)倫理研究所 参事

    権藤 度夫

  • 倫理経営インストラクター
    (一社)倫理研究所 参事

    上能 喜久治

  • 倫理経営インストラクター
    (一社)倫理研究所 法人アドバイザー

    佐藤 福男

  • 倫理経営インストラクター
    (一社)倫理研究所 法人スーパーバイザー

    木村 雅

  • 倫理経営インストラクター
    (一社)倫理研究所 法人スーパーバイザー

    吉瀬 融

  • 倫理経営インストラクター
    (一社)倫理研究所 法人スーパーバイザー

    山本 一

  • 倫理経営インストラクター
    大阪府倫理法人会 会長

    川村 慶

  • 倫理経営インストラクター
    大阪府倫理法人会 副会長

    浜野 太郎

  • 倫理経営インストラクター
    大阪府倫理法人会 副会長

    山之口 良子

  • 倫理経営インストラクター
    大阪府倫理法人会 幹事長

    米澤 忍

  • 倫理経営インストラクター
    女性名誉委員長

    國場 佳代

  • 倫理経営インストラクター
    経営者育成委員会 専任講師

    森 勲

  • 倫理経営インストラクター
    新大阪倫理法人会 相談役

    鈴木 昭彦

  • 倫理経営インストラクター
    千里中央倫理法人会 相談役

    栫 浩志

倫理指導体験談

  • 大阪天王寺区倫理法人会 井村 幸治

    大阪天王寺区倫理法人会井村 幸治

    佐藤福男法人スーパーバイザー

    <指導員>
    法人スーパーバイザー佐藤 福男

    妻が認めてくれない「倫理」。どうすれば気持ちを解きほぐせるのか?

    私が佐藤SVに指導をいただいたのは「妻との関係」です。ブラジルへ出発される直前の5月27日にお時間をいただきました。
    先日、私は妻から「あなたが早起きして倫理に行くのは勝手だから何も言わない。でも、わたしは人間ができているから倫理は不要だし、もし息子や娘を倫理に誘うようなことがあったら全力で阻止する」と言われました。昨年10月に倫理法人会に入会し、靴を揃える、「ありがとう」や「おはよう」を明るく笑顔で言う…など家庭での実践を重ねてきたつもり、自分では変わったつもりでしたが、現実は全然違っているのだと思い、愕然としたのです。
    佐藤SVの指導は「傾聴」でした。早朝に出かけ、夜は勉強会や懇親会で「倫理」のために家をあけることになった夫に対して「不安」があるのだと。見返りを求めることなく、しっかりと心を傾けて妻の言葉を聴き、気持ちを受け止めることだと、ご指導いただきました。佐藤SVも同じ体験をされたとのこと。「傾聴」と「100の美点」、さらには夫婦という横軸だけでなく、ご先祖様や子どもたちという縦軸への「感謝」の心を持ちつづける実践を重ねています。実践の結果をまたご報告させていただきます。

  • 豊中市倫理法人会 栫 浩志

    豊中市倫理法人会栫 浩志(左)
    <指導員>
    名誉専任研究員林 輝一(右)

    運命を変えた倫理指導

    11年前に仕事でトラブルが発生して林先生の元へ飛び込みました。最初の指導で実践に取り組みましたが解決どころか泥沼状態に陥りました。お金も使い切り、身体も精神状態もボロボロになった時の指導で「まだ捨てる物があるな」と言われました。
    そして実践が1)社長を辞めろ 2)自宅マンションを売りなさい 3)倫理普及をやれでした。1)3)は即実践2)は決死の覚悟で妻に話しました。その答えは「もともとない物やからいいやん」全てを捨てる究極の実践でした。
    そこからいろんなことが解決する中、金銭の問題はなかなか解決しませんでした。そして林先生に「10年は我慢しなさい」と言われた。その10年目が今年だったんです。平成から令和に変わり建設業は平成と共に辞め、新規事業に転換し、いろんな問題が一気に解決しました。生前、林先生にも相談した新規事業と共に私の夢の実現に向け心機一転邁進してます。林先生には感謝しかありません。

  • 大阪市倫理法人会 チ ヨン

    大阪市倫理法人会チ ヨン

    涙の洗浄によって亡父と深く繋がる

    倫理法人会に入会して17年、多くの倫理指導を受けてまいりましたが、その中でも一番ありがたいのは、5年前の林輝一先生のご指導です。
    それは「20年前に亡くなった父親と涙の洗浄によって深く繋がる」との実践です。戦後、父は韓国から日本にきて多くの辛苦を乗越え、プラスチック製造業で大成しましたが、6年前、兄弟3人相談の結果、その不採算事業を自己破産という不名誉な形で廃業にしました。
    亡き父には誠に申し訳なく、日々悶々と苦しんでいて、林先生の指導を受けました。「毎朝父上に挨拶をして、心から詫びなさい。そして涙が枯れるまで泣きなさい」「いずれ涙が出なくなったら、この先どのように生きていくか父上に誓いなさい」。涙の洗浄です。私は毎朝続けました。
    そのうち父の遺言が聞こえてきます。「兄弟仲良くせよ」「お母さんを大切せよ」このふたつの言葉です。私はこの実践を死ぬまで毎朝続けていきます。
    林先生、ご指導ありがとうございました。

  • 八尾市倫理法人会 新福 泰雅

    八尾市倫理法人会新福 泰雅

    父母を心から尊敬し、心から感謝!!

    私は父の隠し子として生まれ、戸籍の父親の欄は、ずっと空白でした。2016年4月に八尾市倫理法人会に入会し、4ヶ月後に山路卓司法人アドバイザーの倫理指導を受け、父親の身辺調査を行った結果、父が逝去していたことがわかりました。
    死後認知は3年まで可能であることもわかり、弁護士さんに相談し、調べてもらいわかった日が、父親が亡くなって死後3年になる3日前でした。わずか3日残ったチャンスを掴み、死後認知裁判を行いました。
    2017年4月にDNA鑑定を行い、判決が下り8月に認知されました。その後も遺産相続について11月に再び倫理指導を受け、正直な気持ちを手紙に書く実践を行いました。
    滞りなく今年5月下旬に相続を受けることが出来ました。約2年間の出来事でしたが、これだけスムーズに事が運ばれたのも、見えないものを整えることで見えるものが変化する、まさに倫理実践と倫理体験で、原理・原則の絶対倫理(くらしみち)のレールに戻ることが出来たからです。
    また僕にとって人生が大きく変わった2年間でした。紙面にはおさまらない体験が、ここにはあります。

  • 大阪北区倫理法人会 安近 健一

    大阪北区倫理法人会安近 健一

    社員との人間関係

    私は、平成27年3月に入会して3年になりますが、去年7月に大量の社員が退職し、父・母等の経営陣が工場内に入らなければ社内の機械が動かないという状況になり、倫理法人会に入会してから2年以上経ったにも関わらず会社が悪化する事態になりました。
    これは一度、倫理指導を受けた方がよいと思い、上能法人スーパーバイザーの指導を受けました。それまで、モーニングセミナーの日は普段より朝早く起きて設営を手伝い、役員朝礼も出席して、モーニングセミナーに行く事で、自分自身以前より倫理ができているものと大きな勘違いをしていました。
    昔から社員はこうあるべき、社長はこうあるべきという、物事をべき論で考えるところがありましたが、倫理指導を受けて今回の事は社員との人間関係ができていない事に気が付き、社員との人間関係を再構築すべくコミュニケーションを取るように心がけるようになりました。
    その後、人手不足で大変でしたが、大昔退職した元社員から連絡があり、その人を通じて30代の社員が3人入社してくれました。今は社員数もほぼ回復し、あの時手伝ってくれた両親に感謝です。

  • 大阪みなと倫理法人会 田頭 一之

    大阪みなと倫理法人会田頭 一之

    分かれた父の墓参りで深まった感謝

    倫理指導を受けた中で、入会5ヶ月で受けた指導の体験を書きます。仕事の転機を迎えて悩んでいた頃に、一歳で別れた父の墓参りを指導されました。母と二人暮らしの生活が当たり前で、父への意識は全く無く、実践を始めるのに一年掛かりました。
    実は、入会前に亡くなっていた父の遺産相続の手紙が弁護士から届いていましたが、放っておいたのです。その後始末をしたくなり手紙に同封された登記簿を頼りに家を探し、父方の御墓を見つけました。が、父の名前が有りません。
    親戚の方を探し父の事を聞くと、母と結婚したことは知らず、後に再婚し横浜で事業をしていました。富士研に行った帰り、後妻さんに電話をし、父の事を聞き、母との生活も聴けました。父のお参りは出来ませんでした。
    父は母の事を良く出来た人だと言っていたそうです。それからは、仏壇に向かい、父への感謝も一緒に出来るようになり母への感謝も深くなりました。この投稿を機に更に報恩に励みます。