社名:株式会社 アートリメイク
設立:平成8年6月
役職:代表取締役 魚野文雄
住所:大阪府岸和田市南町10-14
建物の塗装・内装工事全般およびメンテナンス
会社の誕生
平成7年、22年間お世話になった会社から子会社設立の話があり、共同出資で立ち上げ、社長として出発することになりました。
私にとって青天の霹靂で、結構高い給料をもらっていたので、今さらサラリーマンをやめてリスクの高いことに挑戦なんかしたくないと考えていました。
そんな気持ちでやっておりましたので、上手くいく筈がありません。
1年後、とうとう親会社である社長と意見が合わず決別することに
なりました。
当時倫理を学んでいたら違った展開になっていたのではないかと
思います。
子ども3人、高校・大学と控えておりましたので、失業する暇もなく、平成8年に現在の㈱アートリメイクを立ち上げることになりました。
初年度は、いろいろな人の応援もあり、順調な滑り出しで、推移することができました。
即戦力となる営業マン、現場作業の監督、職方、誰彼となく、力を貸していただきました。
今思いますと、目に見えない力が働いたとしか考えられません。
入会のきっかけ
平成14年、お得意先よりお誘いを受けました。
今思いますと仕事も少しマンネリになりかけていた時期でもあり、絶妙なタイミングと(少しは得意先の関係もあり打算も働いたかな)また年齢も50歳ということで、何か節目だったのではないかと思います。
入会するまでは、夜の接待をいいことに飲み歩いていました。
バブル時代の感覚がまだ抜け切れていなかったようです。
最初の頃は入会を勧められず、2か月程会費のことは知らされず参加しておりました。
まず驚いたのはエレベーター前で、あいさつと共に迎えてもらったこと。
なんと朝からテンションの高いこと!
そして皆さんから礼状の手紙をもらったとき、
こんな丁寧な会は他にないと思いました。
こちらから改めて入会の意思を伝えました。
それから毎週、大阪市倫理法人会に通うことになりました。
ある朝、いつも通りに車で行きますと、暗い中ホテル前で清掃している人たちがおりました。
幹事の皆さんです。
私はいつも掃除の終わるころに、車を停めておりました。
だんだんと恥ずかしくなり、いつの間にか私も早く起きて、掃除に参加していました。
それが最初の実践だったと思います。
転機となるような学びは?
倫理に入会してよかったことは?
単会の立ち上げの時です。
当時大阪府の山路会長、濱浦幹事長、上野起立相談役
(倫理三バカと言われた人達)に、「岸和田で設立しましょう。」
と言われ、これには2度目の青天の霹靂でした。
沢山の人達の助けもあり、設立委員長(初代会長)を受け、無事平成16年4月27日設立に至りました。
私にとって良い経験でしたし、
‘やればできる‘決心すると何でも可能だ’
ということを学ばせて頂きました。
感謝でいっぱいです。
生活していく上で、さまざまな出来事が起こります。
倫理に入ってからも、いろいろな出来事ありました。
倫理に入る前は、何か起こるごとに不安やら恐怖心を持ちましたが、倫理を学んでいきますと、
‘すべては必要’‘これが良い’と思えるようになりました。
倫理法人会で学ぼうとしている 経営者のみなさんへのアドバイス
私なりの純粋倫理の理解は、
心の持ち方の学び、それといろいろな実践
だと思います。
具体的に、学んだことを素直に実践・実験するということだと思います。
やると、やらないとでは大違い。
実践をやれば、すごい結果がでます。
不思議すぎるほどです。
何度か奇跡のような出来事がありました。家庭のこと、仕事のことにも、ヒントを得ることができます。
どんなことも解決できると確信しています。
今後の会社のビジョン
現在64歳になりましたが、70歳迄に
もっと魅力のある会社に仕上げ、
後継者に譲り、またさらに新たなことにチャレンジしようと思います。
最後になりましたが、私に倫理を伝えてくれた新岡さん、
私を助けて頂き、本当に有難うございました。
感謝でいっぱいです。
【取材 出原恵子 / 泉州倫理法人会】
【カメラマン 株式会社Photostudio S 杉谷 昌彦 / 堺市北区倫理法人会】
私は入会してから、魚野さんと倫理3年のお付き合いです。
社内でも倫理の会と変わりなく、いつも穏やかな頼れる存在で、今からでも違ったことに挑戦していく姿勢は、
改めて見習うべき先輩だなと思いました。
※記事中の所属や役職およびインタビュー内容は、取材当時のものです。