社名:株式会社アサダ自動車商会
設立:昭和21年10月(創業)
役職:代表取締役
住所:大阪府松原市岡2丁目4番18号
HP :http://wanimaro.blog.fc2.com/
事業内容
各社自動車販売(新車・中古車・二輪) 車検整備・鈑金修理・ホイールアライメント整備
最新自動車整備診断機器を用いた故障診断(ハイテク診断)
自動車故障診断・整備研究グループTOPPA(トッパ)主宰店
国家自動車一級整備士駐在 AIG損害保険代理店
自動車のトラブルに関する過去の事例を下にした故障診断セミナーの講師を務めたり、自動車整備に関する本の執筆などもしています。最近では、同業他社よりの故障診断依頼や整備依頼も増えつつあり、プロである同業者からの信用を得られていることは、非常にうれしいことであると思っています。難儀なトラブルに困っている同業者の助けとなれているのならば、これほどうれしいことはありません。
また、大阪産業大学工学部・交通機械工学科で非常勤講師も勤めており、後進の指導にも力を入れています。こちらも大学から乞われる限り続けてゆくつもりでいます。
会社の誕生
私自身は創業者の孫であり三代目ですので、誕生秘話というものは持ち合わせていませんが、生前に祖父から聞かされた話に「己を尊ぶの極は、ささげるにある。」(栞P112)を連想させるものがあります。
大東亜戦争も末期、戦艦・大和も南の海に消え、わが国を取り巻く戦況ますます悪化する中、祖国防衛の砦として大阪は信太山にて第44師団(通称橘隊)が編成された折、上官よりの「国民の盾として命を捨てる覚悟ありと思う者は一歩前に出よ!」との号令により、「ええい、どうせ遅かれ早かれ死ぬんや。おんなじ死ぬんなら、格好よう死んだれ」と考えた祖父は、躊躇なく前に出たとのことでした。この部隊は後に、茨城から福島へと移りましたが、志願せずに残された人たちは南方に向かう船に乗せられ、途中、敵に撃沈され搭乗員の多くは亡くなったとのことでした。そうこうする内に終戦を迎えたと聞かされています。
命を捨てる覚悟で進み出た祖父の一歩がなければ、祖父が起業したアサダ自動車は当然のこと存在しませんし、今の私がここに居るかどうかすらもわかりません。”自他一如、捨我の絶対境”という気持ちが祖父の中にあったのかどうかは定かではありませんが、人智を超えた大きな力が、祖父をして働いたのかも知れませんね。もしあの時、死にたくないと祖父が躊躇していれば、南方に向かう船に乗り絶命していたかも知れないのですからね。不思議としか言いようありません。
入会のきっかけ
松原市内にある、別の経営者の集まりに参加した際に、小林前会長よりお誘いを受けモーニングセミナーに伺いました。会場に入りますと、以前より商店会の集まりでお世話になっていた光田相談役もいらっしゃり、これは間違いのない集まりだと確信はしましたが、最初に歌を合唱したり、栞を読み合わせる雰囲気には、少しばかり(?)驚いた記憶があります。それでも、初めて伺ったその日に入会宣言いたしました。よくよく考えると、無謀な野郎ですね。得体の知れない妙な会に、即日、入会宣言ですから。
転機となるような学びは?入会してよかった?
入会の善し悪しにつきましては、諸手を挙げて”良かった”と断言することができます。いえ、良かったどころか、むしろ「よくぞお誘い下さいました」とお礼を申し上げなくてはなりません。
入会は平成二十七年の秋ですから、もう三年以上の月日が流れました。その当時、アサダ自動車は”様々な要因”により苦境の渦に巻き込まれ、苦渋の決断を下さなくてはならない状態にありました。今思えば、様々な要因という、言い訳に過ぎない戯言に逃げていただけのことですが、一生懸命に努力しても働いても、事それに乗じて好転せず、行き詰まりを感じる日々を無為に過ごす毎日でした。
松原市倫理法人会に入れていただいてからは、まず何よりも自らを律することにあるという、当然解っているはずの当たり前なことを、本当に理解できていないということを幾度と思い知らされたのでした。倫理を学ぶ本質は、まさに此処にあるのですね。「当たり前」という簡単な言葉、実は、これほどおそろしい言葉は無いように感じます。
私は十代後半よりモラロジーを学び、三十代には森信三師の教えを学び、道徳や倫理というものを当たり前に理解しているつもりでおりましたが、その「理解」は机上の空論にも等しい、虚しいものであったということでした。頭で解っていると思っていることは、体現されてこそ始めて理解につながるということでしょうね。
私を最も変えたものはあるテレビ番組でした。そこには「お菓子のよしやさん」が登場され、これぞ商売繁盛の極意という場面を披露されたのでした。画面を食入るように観ていた私に飛び込んできたのは、社長がお菓子に向かって「お菓子のみなさん。今日も一日よろしくお願いします」とご挨拶をされていたお姿でした。
以前の私ならば、このオッサン、頭おかしいんとちゃうか?と笑い飛ばしていたかも知れません。しかしながら、栞の第11条(物はこれを生かす人に集まる)に特に関心を持っていた私には、それは啓示に思えたのでした。よしやさんが付け加えておっしゃったことは、「お菓子で食べさしてもろてるから、お菓子に挨拶するのは当たり前でっしゃろ」というものでした。「当たり前」が体現された素晴らしい実践ですね。
「これや!これこそ極意や!」と感じた私は、早速に翌朝より、このよしやさんの真似を始めたのです。善いことは真似でもよいから直ぐに始めるべき、と考え「自動車のみなさん、おはようございます。今日も一日、よろしくお願いいたします。どうぞ今日も一日、工場が自動車でいっぱいになって、売り上げがドンドン上がりますように。出て行かれても、空いたスペースにはお友達を呼び込んで下さいますように。」柏手し、心を込めて祈りました。それが、純粋倫理に触れて初めての実践であったと思います。
そう言い始めて二週間ほど経った頃から、工場は整備依頼の自動車でいっぱいになりだし、それ以降、「申し訳ございません。今、現場はお預かりしたお車で混雑してスペースがありません。しばらくお待ち下さいませんか」という言葉を何度申し上げたことか計り知れません。
物は生きているなどと言えば、アイツちょっとおかしいでと陰口をたたかれそうですが、物は生きているという気持ちで全てに対処すること、その姿が他の人々の目に何かしらの違いとして写るのか?それとも、本当に自動車が生きていて、アサダ自動車は居心地が良いので来たほうが良いと呼び込んでくれているのか?それは判りませんが、栞に記されている内容を”真摯に”受け止めて実践すれば、直ちに変化が現れるということは実感しています。
後から知ったことですが、お菓子のよしやさんも倫理法人会の会員でいらっしゃるとのことで、なるほどと唸ったものです。純粋倫理の広がりは偶然ではなく、必然であったということですね。
倫理法人会で学ぼうとしている 経営者のみなさんへのアドバイス
入会して三年ほどの新参ものが倫理について何も申し上げるようなことはありませんが、どのようなことも、一度は深く入り込んで学ぼうとする姿勢は大切であると思っています。ある時期は一所懸命に、神経を集中して学びに没頭することは必要かと考えています。
しかしながら、永年にわたり一所で学びを続けますと、どこかで頭でっかちになり、世間の感覚とずれてしまうことが多々ありましょう。火野葦平(ひのあしへい)氏の河童曼荼羅(かっぱまんだら)「胡瓜と恋」にありますように、やせ細り命尽きる寸前で小さな穴から暗闇に落ちた河童が、地下に貯蔵されていた大好物のキュウリをたらふく食べ、空腹を満たすことの他は何も考えられずにいたそれまでとは違い、道徳や倫理を考えられるようにはなるものの、今度は太りすぎて穴から出られなくなるという場面があります。
この場面はまさに、倫理を学ぶ際に注意しなければならないところであると考えています。倫理を学んだがゆえに、それを曲解してしまい、せっかく命を救われたのに太りすぎて穴から出ることの出来ない河童になってしまっては意味がありません。良識という穴を通して、常に世間一般というところを見据えた学びをする必要があるのではないかと思います。
前夜に何があろうとも早起きを続けるような”行動”を自らに課し、その苦行とも思えることを”実践”と定義し、結果、何の成果も得られないことを「倫理みたいなもん、やってもアカン」という言葉に集約されてしまうことを非常に悔しく思います。山を一歩ずつ登るように、見える景色が変わってくる実感を味わえる実践をするべきではないでしょうか。もちろん、その景色の見え方を変えるのは自分自身ですね。誰の人生でもない、一度しかない人生ならば、自分にしか観ることのできない景色を眺めてみたいものです。
今後のビジョン
どの業界にも言えることですが、少子高齢化の波は自動車業界にも高波となって押し寄せています。特に、若者の自動車離れは顕著であり、各自動車メーカーも苦慮していることは事実です。テレビCMもターゲットを若い男性ではなく、より積極的に自分を主張している女性たちにシフトしていることは明らかです。時代の要請でしょう。
お客様に喜んでいただける自動車販売・整備業者であることは当然ですが、特にメカに不慣れな女性ユーザーにご満足いただけるような整備事業者でありたいと思います。
ますますハイテク化する自動車にどうやって対応してゆくのかということは、業界あげて取り組まなければならない課題ではありますが、現状の自動車のメインテナンスについても満足に対処できていない整備工場があるのも事実です。それは、あちらこちらで自動車整備セミナーを開いて痛感してきたことの一つです。そういった事情を踏まえて、近隣の自動車整備工場のメインテナンスやトラブルに対する技術力向上に向けた取り組みとして、故障診断に強いグループ造りをもっともっと推進してゆきたいと考えています。業界のレベルアップは急務です。その一翼を担えるならば、光栄なことと考えます。
現在取り組んでいることの中に、新しい本の執筆があります。自動車整備関連の本(自動車工学実践基礎シリーズ)を既に二冊出版していますが、出版元の鉄道日本社が廃業してしまい、今のところ手に入らない状態が続いています。偉い学者が書いた(ことにしている)本とは違い、日々、自動車整備に携わる中での故障事例や診断方法が書かれているということで現場の方々に評判となり、何度か増刷もされていたのですが、残念です。浅田の本はまだか!とお待ちいただいているようですので、一日も早く仕上げなくてはなりません。本を通じて知り合った東北や関東など、全国の仲間たちも期待してくれていますからね。
十年後には松原では、あらゆる意味で無くてはならない自動車会社となっていられますことを目標としています。販売、整備はもちろん、地域に貢献できる企業として生き残らなければ、命を懸けて一歩前に進み出た祖父に会わせる顔がありません。向こうに逝っても、「おじいちゃん、俺は俺なりに頑張ったで」と言える人生でありたいと思っています。祖父が国を護るために命を差し出したように、私はすでに、アサダ自動車を守るために命を捧げることを神さまにお誓い申し上げました。一旦緩急あれば、この一命をかけてアサダ自動車を守っていただけますようにと祈願しています。それが、本を忘れないことだと信じています。
【取材 副専任幹事 田島将州 / 松原市倫理法人会】
【カメラマン 株式会社PhotostudioS 杉谷昌彦/堺市北区倫理法人会】
本業の仕事以外にも、列記の通り大阪産業大学工学部・交通機械工学科で非常勤講師を務めたり、自動車整備関連の本を出版されたりと、能力を最大限に発揮されている実力者です。松原市倫理法人会においても、純粋倫理に深く共感されて、日常生活に生活の法則を取り入れて、実践されています。
顕(み)えるもの、潜(み)えないものについて、自動車のトラブルと、人の苦難には共通点がありそこには自然の力と向き合う素直な姿勢が不可欠だと言われていました。
モーニングセミナーの演壇に飾るお花も毎週届けてもらい、表に出ない影の実践や、地域での清掃、落ちているたばこの吸い殻拾いの実践も継続中だそうです。
地域での信頼も厚く、筋道の通ったしっかりした発言にも重みがあり、今までに紹介されたゲスト様も4名の方が入会されました。これからもリーダーシップをはっきされて、ビジョンの実現へと、着実に取り組んでおられる強い意志を感じました。
【浅田純一 氏の所属単会 → 松原市倫理法人会】
※記事中の所属や役職およびインタビュー内容は、取材当時のものです。