GENKIな会員企業のご紹介

 

株式会社オージー塗装工事 代表取締役 杉野政史氏にインタビューしました。

▼企業情報
社名:(株) オージー塗装工事
設立:1986年
役職:代表取締役
住所:大阪市城東区中浜 3-24-8
URL:http://ogtoso.com/

▼事業内容
塗装、防水、とび、 土工、 建築一式、 土木工事業

「鉄を錆から守る」

特に、高度経済成長期の1960年代に架けられた多くの橋が、現在高齢期に近づいている。
電力送電鉄塔はもとより、近畿圏において、35000 基の防錆塗装技術を通して、橋梁、送電鉄塔、鋼構造物塗装、インフラメンテナンス工事請負を業務として予防保全による効率的な維持管理を行なっています。

会社の誕生

『経営者としての出発』

「人が好きか嫌いか」 「勝てば官軍、 勝った者が正義」

小学校3年生の頃、 母の小学校時代の先生と出会う機会がありました。
先生のお名前は忘れましたが、励ましの言葉に特別な思い出があります。
杉野君の名前は?の問いかけに 「政史」 です、と答えると、
杉野君は「政治を創って、 歴史に残る人になりますね」「政史君、あなたは大器晩成型やね」 「必ず成功しますよ、頑張りなさい」 という 思ってもみなかった励ましの言葉。
その言葉を胸に、 後に父に名前の由来を尋ねますと・・・。
「八卦見に見てもらった名前だ」と。
もう一つ候補は 「武市」(たけいち)座頭市に似通った名前。
まあ、いいっか! 「私は大器晩成型なんやと」 丁寧な言葉遣い一言一言が胸に沁みている様でした。

21歳、父の紹介で塗装工事店 (当時は個人)に入店をしました。 丁稚奉公ですね。
高度成長期に建造された橋梁の塗り替え塗装を請け負うお店でした
請け負うためには、官庁 (当時建設省、 日本道路公団、 阪神高速道路公団、 国鉄、大阪府、大阪市、北海道等) よりの発注工事ですから、会計検査を受けるための資料を作成する仕事がありました。

私は、現場管理を任される現場監督として、役所と職人さん(鳶工、塗装工) と、 北は北海道から南は九州沖縄まで、橋梁の塗装工事請負、段取りをする職についていました。
全国を転々とする仕事で、出張先では「毎晩の酒盛り」 「さいころゲーム」 「カードゲーム」 等をして、一日の仕事の疲れをとっていました。
宿を抜け出し、もう少し夜更かしゲームを楽しむことも多々ありました。
私は人と関わる仕事が好きで、関わる方たちとの仕事の調整がうまくいくと段取りがスムーズに進み、何とも言えない達成感を感じてました。
「みんなの為になっているよな・・・?」「やっぱり自分に合っているな」そんな自問自答を繰り返しながらも
5年目、結婚もして子供も長女が生まれた年です。
私は一生この会社に骨をうずめるんやと思って、仕事に励んでいました。
大手元請さんが入札、落札後、私に工事請負の依頼がありました。
職人さんの手配力、塗装工・鳶工の動員力を買われたのでしょう、官庁 (阪神高速道路公団) との調整力を使って、工事を頼むとの依頼があり、当時の社長を口説きました。
3ヶ月で、7200万円の 請負仕事を、 2000万円粗利益上げるから、請けましょうと懇願いたしました。
「請けるんやったら、『まさ』は独立をして一人でやってみなさい」と言われました。
一瞬、 悲しい感情が心をよぎりました。
それからは元請業者の支店長さんと、私の会社の社長との板挟み。
「それでは会社を辞めます。 今月いっぱいで辞めます」
夢を描き、寝食を忘れて仕事に打ち込んでいたし、職人さんたちとの共同作業は大変有意義でしたが、仕事の区切りがつく月末まで、勤めたうえ退職をしました。

さて、ここからが創業のスタートです。

私が辞めると知れ渡ると、同僚の番頭富井さんや職人の親方が 「まさが辞めるんやったら、自分たちもやめる」 と。 彼らの気持ちが本当にうれしかった。
その後、とりあえず今回の依頼工事を無事竣功させることに集中。
その後、 何をすべきかと言う考えはまだ何もありませんでした。
「26 歳の若造に何ができるか。そんな若者が事業を成功させることができるはずがない」
世間の風潮として私の耳に聞こえてくることがありました。
そんな中、半年間の売り上げで2億5千万円、翌年には3億8千万円、7億8千万円と売り上げは個人独立創業後、4年目で10億円は軽く超えていました。
父は同じ業界の大手塗装会社大阪支店長でした。
当時は業界団体の調整役を買って出ていた父でしたので、私の独立開業を聞きつけた元請け業者の方から下請け依頼がどんどん舞い込んできたのです。父のお陰。

従業員数は17名。下請け協力者は100名は常時在籍する下請け企業になっていました。
東京、札幌に出先事務所を開設。
ここで事業拡大と錯覚、膨張の一途を辿るわけです。
会社はどんどん大きくなっていく。
「100 億円企業を目指すぞ!」全国展開を他所に、外部環境はちょうど倫理法人会入会のころ、政府は行政財政改革の道へ。
売り上げイコール 純利益と錯覚する、 無知な経営者。私ですね。
行き詰まる恐怖感から、私はいつまでも逃れることはできなかった。
下請け稼業からの脱却。経営者のセミナー、併せて倫理法人会で心のよりどころを見出しました。
元来楽天家なのでしょうね。 「大器晩成だからダイジョブ!」

一日に与えられた、24時間という限られた時間の密度をできるだけ濃くしていくしかない。
のちに、後発組のわが社は、技術者だけは在籍。
工事実績・工事経験が幸いし、建設省(のちの国土交通省) の仕事を受注。
阪神高速道路公団 (のちの阪神高速道路(株))。 本州四国連絡高速道路(株)、 NEXCO西日本(株) 、関西国際空港連橋塗替塗装の工事も受注。
今に至っては、某大手公益法人電力会社より下請け時代の施工動員能力を買って頂き、専属企業として取引を頂いています。

官庁 (元請、下請) 橋梁鋼構造物塗装、 電力インフラメンテナンス防錆塗装、そして官庁営繕 (建築物) 塗装替え工事を主たる業として、職人さん雇用創生。
社会基盤インフラのメンテナンスとして、日本は自然災害の多い国土ですので、まさかの自然災害時 (地震、風水害) に活躍する人材を育成、世の中に貢献できる企業として存在意義を高めたく、誇りに思える仲間と共に仕事に従事しています。

入会のきっかけ

倫理法人会に入会をしましたのは、2003年大阪北区倫理法人会に入会。
その前には、千里中央倫理法人会立ち上げ会員として、2002年だったでしょうか、新大阪ワシントンホテル立ち上げ式に参加を致しました。

山路法人スーパーアドバイザーが突然会社に来られまして、入会を促され、二つ返事。
息子さん (あきよし) と約1年間、企業経営者セミナーで学んでいました。何にもわからない経営者が集う研修セミナーでご一緒した縁がありましたと言う理由で、入会をしたわけです。 山路法人スーパーアドバイザーが、良くお話しなさっています。

暗黒の大阪時代、がむしゃらに普及活動をされていた時の名残の私です。
倫理歴は華麗でしょう! 継続期間、倫理歴20年になります。
実は、ワシントンホテルに一度だけ立ち上げ式に参加、参列。

大阪北区への転籍も、初代上能喜久治会長、2代目松井会長、 3代目権藤会長に師事し、会員として籍を置かせて頂いておりました。
比較的、権藤会長時代への参加率はそこそこあったかなと記憶しています。
40歳代前半です。モーニングセミナー会場も大阪キタ新地に近く、堂島ホテルとクラブ活動にはもってこいの立地でした。

肝心な会員拡大普及文句を述べさせて頂きます。
現山路法人スーパーアドバイザーのお言葉より、
働くということは、生きていく糧を得るためのものだけというのが一般的ですけれどもそうではなくて自分の人間性を高めていくためになくてはならないものです。
一所懸命働くことによって、自分自身の心を高め、自分の人生を精神的に豊かなものにしていく。
同時に、物心共に豊かな素晴らしい人生を送ることができる。
倫理法人会で共に学びましょうの言葉を頂いたことが、入会の本当のきっかけです。

転機となるような学びは?入会してよかった?

人は得てして、恵まれた環境にあっても、与えられた仕事をつまらないと感じ、不平不満を口にしがちです。 与えられた仕事を天職と思い、その仕事を好きになるよう努力していくうちに不平不満は消え、仕事も順調に進むようになっていく。

経営者の私が、自分自身でも明日のことが見えないのに、従業員さんは経営者に自分と家族の将来にわたる保証を求めていることを、初めて心の底で理解したことに気が付いた時に、
「とんでもないことを始めてしまった」と思ったこと。

会社とは何か、会社の目的は何かということについて、会社は経営者個人の夢を追うところではない。
私は、若いうちに経営の根幹を理解させて頂いたと思う。
さらに、深みを学ぶため倫理を学ぶことを思い、現在に至ります。
子供のPTAのパパ友や、倫理に陶酔する友人ができたことも新たな動機へと繋がっています

倫理法人会で学ぼうとしている経営者のみなさんへのアドバイス

創業時、私は27歳。結婚2年目。良い時代に調子に乗るべからず。
謙虚に生きて、ボロは着てても心は錦~根性!!
人間の心や原理原則といわれるものを大切にしていくこと。

全ての事柄において、意味があること、と理解すること。
私の生い立ちとの関係も色濃くあることと理解しています。

今後のビジョン

Oh! Good! Peinntar! オージー塗装工事の仕事師は、

「めっちゃ! エエ仕事! する仕事師」 と言われ...

「また来てや!」 と言われる仕事師集団を目指します。

【取材 鬼窪哲也/大阪北区倫理法人会/幹事】
【写真 Syoji photo 山本祥司/泉州倫理法人会】

インタビュー時には会社の歴史を非常に興味深く知ることができる映像を拝見させて頂いたのですが、いくつかの資料には当時のお父様が監督として当時の職人さん達をまとめられているお姿があったり、建築塗装ではなく静岡発祥の息の荒い鉄骨塗装職人さん達を率いて東京タワーの塗装にあたられている当時の監督さんと、その武勇伝を聞かせていただいたりとドキュメンタリー作品としても申し分のない映像資料でした。
またオージー塗装工事さんの施工事例のビフォーアフターも拝見しましたが、『えっ!ここもなんですか?』と言うような身近にある橋梁や、有名な鉄橋があったりとで、終始わくわくとインタビューをさせていただきました。
また、雇用されている職人さん達への杉野さんの熱く懐深い想いが言葉の端々に表れていてとても素敵な職場だと感じました。

【杉野政史氏の所属単会/大阪北区倫理法人会】
2023年3月掲載

※記事中の所属や役職およびインタビュー内容は、取材当時のものです。